人生トロフィー化計画

PlayStationにあるトロフィーのように、人生をやりこんで楽しむことを目標にがんばります!!

こんな風に生きてきて少し小金持ちになりました! No.1

今日はどんな風に生きてきて、その結果こんな風になったか見たいな話をしたいと思います。

 

まず、僕の簡単なスペックですが、残念ながら高卒です。1970年代に生まれて、バブルの華やかな時には中高校生くらいだったので、いい思いはしていません。その為こつこつと将来のことなどきちんと考えて生きてきてるかなーと思っています。

 

ただ、学生時代はやる気のない学生でした。受験勉強も全然しない、なんとなく平凡に好き勝手やってきた生徒だったと思います。友達は結構多かったと思います。高校卒業後のプー太郎時代には1人暮らしのアパートに常時友達が5人以上は来ていました。ただ友達が大学を卒業して就職するころには、たまり場になっていた僕のアパートにあまり友達が来なくなり、1人の時間が多くなったときにはかなり寂しく感じていた記憶があります。

このプー太郎時代には本気でパチプロになるつもりで、アパートにいないときには朝からパチンコ、パチスロをやり続けていました。今思うとすごくバカですね。そこそこ勝つこと(学生のアルバイトよりも少し多いくらいですが)もできたので、アルバイトはしていませんでした。しかし消費税が3%から5%に上がることになった時に、急にパチンコ、パチスロで勝つことができなくなり、パチプロとして生活する事を断念しました。この時は本当に悔しかったですが、その後の人生を考えるとパチプロを断念することになって、就職し普通の人間になることができて本当に良かったと思います。

 

その後、サラリーマン時代にも趣味でパチンコ、パチスロをやるのですが、人生トータルでパチンコ、パチスロ収支は200万円ほどプラスです(パチプロを目指していた名残で収支はきちんと手帳に記載していました)ただ年々負けるようになり、人生収支でマイナスになる可能性が出てきたのと仕事で稼ぐことの方が簡単だったので、パチンコ、パチスロはやめました。

もともと勝ちにこだわる方で稼ぐためにやっていたので、簡単にやめることができました。

 

最初の就職では普通のサラリーマンをやっていました。資格も経験ない中で、機械設計として雇って頂くことができ、給与は安かったですが、安定した暮らしにつくことができました。この時代に結婚するのですが、嫁ができるともっと稼ぐとこができる仕事に就きたくなり、転職することになります。

 

この時に稼げる仕事、歩合給の多い仕事を探すことになります。いくつか営業の会社の面接を受けるのですが、最終的に一番稼げそうな不動産の営業マンになることに

この選択が僕の人生で一番最高の決断になることになります。

 

不動産業界に入り、最初の1年は本当に苦労しました。なかなか売ることができずに上司に詰められることも度々ありましたが、なんとか首になることもなく。1年目を過ぎると少しずつ売れる営業マンになることができ、1年半後には会社でトップセールスマンになることができました。

 

控えめに見ても、僕が不動産営業として成功するとは、たぶん当時の上司や同僚も銀行のローン担当も含め、だれも思っていなかったと思います。その時の会社の社長と飲みに行ったときにも、取りあえず若いからというのと、その会社では採用時に顧問のような占い師がいるのですが、その人だけがこの子は伸びるから採用しろと言ってもらうこともあって、採用となったらしいのです。そんなこんなで期待されていなかった中、奇跡的に営業マンとして食えるようになりました。

 このあたりから、将来のこと考えて、生きるようになったと思います。

まずは不動産営業としてある程度稼ぐことはできるようになったとはいえ、年収1000万円を超える収入をずっと得るほどの販売営業としてのスキルに自信があったわけでもなく、このまま一生家を売り続けて、60歳までセールスマンとしてやっていけるか?と考えたたときに不動産屋の中で稼ぎやすい用地仕入れのスキルを磨くことにしました。不動産屋の中でも用地仕入れは花形の職種で稼ぐことができる人は一握りですが、稼げる人は青天井で給与がもらえるという、夢のような職種なんです。タレントの菊地亜美の旦那も少し名の知れた用地仕入れで、マンション会社の求人広告にも登場していた人物です。彼も20代で年収は3000万という広告を見ました。ちなみに広告はこんな感じです。

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今は独立したらしいのですが、まあこんな職種です。話は逸れましたが、用地仕入れとして成功し、独立することを決意しました。まあそれが一番簡単に金持ちになれそうだったから、それだけの理由です。実際僕も年収としては2000万円にしていますが、自分一人で稼ぐ額は年5000万くらいなので、法人にせずに個人で報酬をもらっていれば、経費を引いても年収4000万くらいなんでしょうね。

でここからが僕から本当に伝えたいお話です。実際高年収を稼ぐ人って、めちゃくちゃすごいヤツだと思っていませんか?全然そんなことありません。嫁にも余裕で怒られますし、お寿司は回転ずしですし、焼き肉はワンカルビです。普通に暮らしてます。

野球で言うなら2番バッタータイプでも1億円プレイヤーになれる。みたいな感じです。どんな人間でも戦略的に準備をして、自分らしさを出すことができれば、社会で力を発揮することができ、年収も上がることができると思っています。

 

その為、不動産屋として独立できるように転職して、転職先の会社でその会社が得意とするスキルを得るように計画を立てる。最初は新築住宅の販売会社に入社していたのですが、そこでは販売のスキルは身につけることはできるが、他業者との付き合いを禁止されていたので、用地仕入れのスキルを身につけることは不可能なので転職することに。転職先を同業社とつながりのできやすい仲介業者に転職することで用地仕入れ時の情報源をつくるに、ここで現在の仕入れの情報源となる他社の営業マンと仲良くなることに成功、情報源ができたところで、新築分譲会社の用地仕入れとして、実際独立したときに自分自身が通用するか、独立した際のシュミュレーションもできる。新築建売のデベロッパーに入社することに、ここで資金の準備や資金提供をしていただける金主の準備などをして、30代前半には独立することに成功しました。

万全に万全を期して独立をしたのですが、独立後、リーマンショックに遭遇することに。

リーマンショックでの損害はほとんど無かったのですが、全体の景気が下火になる中で、しばらくは以前のように大きくは稼げない可能性が高いように感じたので、副業として、以前から興味のあった学習塾のフランチャイズに加盟して、教室を開校することにしました。

 

なぜ高卒なのに学習塾なのか?それは僕は高卒ですが、実はそこそこ勉強の出来た、途中ドロップアウトしたタイプの高卒なので、正直なところ勉強には自信があったというのが1つ。もう1つは10校舎ほど運営している学習塾のオーナーに知り合いがいて、その人と僕自身を比べて、力量的に負けていないと感じていて、僕がやっても同じくらいには成功できるかなーと思っていたことが原因です。

 

実際、僕自身が開校から一人で運営したのですが、学習塾は大成功し、安定したところで採用した校舎長にバトンタッチすることに。10年くらいたった今も安定経営できており、副業で運営にほとんど携わっていないオーナー業でありながら、年800万ほど稼いでくれているありがたい副業となっています。

 

残念なのは複数校舎を運営することも考えていたのですが、自分一人で立ち上げから、利益まで出すことには自信があるのですが、誰かに仕事を任せて会社を大きくしていく、マネジメントは苦手すぎて複数校舎運営はできていません。

 

まあ、リーマンショックから不動産業が落ち着き、学習塾で稼ぐより、不動産業で、稼ぐ方が簡単で、副業に力を入れることができないというのもあったりはするのですが、

 

そんなこんなで副業での稼ぎも割とあるのも幸いして、本業での挑戦も積極的にできる環境も成功している要因になっていると思います。

 

この選択も良かったです。20代の内から用地仕入れを意識して準備して、スキルが身つつく直前には最大限稼ぎやすい不動産屋としての独立ができるように、資金の準備や資金提供をしていただける金主の準備などをできて、30代前半には独立することに成功しました。

続きはまた今度

 

hanasan1999.hatenablog.com